「気にしすぎだよ」と言われて、自分の感じ方のほうが間違っているのかもしれない、と思ったことはありませんか。そう言われるたびに、あのとき何があったのか、自分の記憶のほうがあいまいに感じられてくることがあります。

この記事の要点

  • 記録は、感じ方の正しさを証明するためだけのものではありません。
  • 日時・言われたこと・そのときの気持ちが残ると、あとで自分の記憶を確かめやすくなります。
  • 出来事の名前や結論は、記録したあとに考えても大丈夫です。
目次(3項目)
  1. 記憶を疑いはじめるとき
  2. 記録がしてくれること
  3. 決めるのは、いつでもあとで

記憶を疑いはじめるとき

似たようなやりとりが続くと、どれがいつのことだったのか、順番が自分の中で混ざっていきます。順番があいまいになると、「やっぱり大したことではなかったのかもしれない」という気持ちが強くなります。記憶は、揺れるものです。それは自然なことで、あなたの感じ方が間違っている証拠ではありません。

記録がしてくれること

記録は、誰かを責めるためのものでなくてかまいません。日時と、言われたことと、そのとき感じたこと。それが手元に残っているだけで、「自分の記憶を疑わなくていい」という静かな支えになります。

記録は、感じ方の正しさを証明するためのものではなく、
あなたが自分の記憶を信じていられるためのもの。

きろくねでは、記録した時刻が自動で添えられます。気持ちは「よくわからない」のまま残してもかまいません。あとから読み返したとき、そのときの自分の言葉がそのまま残っていることが、助けになる場合があります。

決めるのは、いつでもあとで

これが何なのか、名前をつける必要はありません。きろくねは診断や認定をしませんし、相手を決めつける言葉も使いません。残しておいて、決めるのはいつでも後で大丈夫です。

「気にしすぎ」と言われたとき、記録が助けになることのイメージ

きろくねは記録を助ける道具です。診断・認定・法的な判断は行いません。危険やつらさが強いときは、公的な窓口や専門家への相談もご検討ください。